明善42期同窓会

久留米市明善高等学校同窓会ページ
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佐久間みなこさん
同期生の佐久間みなこさん福岡県で発行されている「グランザム」という雑誌で「先駆けをするには大きな波あり。これまでの経験すべてが今の自分を作り出す」語っています。以下はグランザムに掲載された内容です。

先月から連載コラム「今月のシネマ」の新たな書き手として当誌面に加わった佐久間みな子さん。現在フリーアナウンサーとして多方面に活躍する彼女の人柄に迫った。
「もともと父には”弁護士になれと言われていたんです。同じ。ホウソウ界でも法曹界だけど基本的に話すことが嫌いじゃなかったからか、大学で入った放送研究部が進路を決めるきっかけに」。当時女子大生亡国論をいう言葉がメディアを賑わせ、四大女子学生は就職難。それでも無事、放送局に入社した佐久間さんはアナウンサーを経験した後、ラジオディレクターやイベントプロデューサーの道へ。「職種の転向は自分の意志です。当時はマスコミとはいえ、まだまだ男性社会。女性は男性アナウンサーをいかに引き立てるかという刺身のつま。これに我慢できなくなって。もう年だねと言われる前に、別のセクションに行きたいと思ったのが一つの理由です。また、アナウンサーがステージに立つ前の底辺には企画・構成など色々な人が絡んでいる。それを見て、演じる側よりも演じさせる側の方が面白いのでは、と思って」。しかし現実はそう甘くない。アナウンサーとして大事にされていた頃とは違い、周囲の風当たりは強かったですね。それまで知っているつもりだったことも、実際、番組を作るとなったとき一から十まで何もわからない。聞いても相手にされないっていうのが一年続きました」。その後ようやくイロハを教えてもらったときは目から鱗なことだらけだったとか。「アナウンサーは割と自己完結することが多かったのですが、ディレクターやプロデューサーはまさに和をもって貴し。もう真逆の仕事です。仕事が変わると、大げさに言えば人生の価値観がガラッと変わる。自分の幅が大きく広がりました」。それまで女子アナといえば5〜6年で寿退社する人が多数。それが佐久間さんの時代以降ようやく定年まで勤めようとする女性が増えていったそう。「苦しい期間もありましたが、その経験があったからこそ今があると思っています。先駆けってそういうものじゃない?団塊世代は。初めてをいっぱい経験していますよ」と微笑む。
 佐久間さんの挑戦は定年退職した後も終わらない。現在はフリーアナウンサーとして活躍する一方、会話塾の講師を務め、「ぐらんざ」のコラムにまで登場することに。「映画の紹介ページでは、作品を通して多くの人の人生観を体感していただきたいと思います」と様々な経験をしてきた佐久間さんらしい意気込み。
 挑戦したいことはまだたくさん。「ぐらんざ」での執筆とともに、今後の彼女の動向が楽しみだ。

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同窓会は面倒くさいか
 昨日の西日本新聞が「同窓会は楽しい負担?}と題して、福岡県内の高校が盛んに同窓会を開催している現状を特集していた。しかも、第一面ででかでかと取り上げていたから多くの読者の目にとまっただろう。昨日は新聞社によほどニュースといえる記事もなかったからか、それとも同窓会の弊害が少なからずあるということを新聞記者は言いたいのか。
 明善校同窓会では53歳になると同窓会理事会から大同窓会担当を仰せつかり、多くの学年同窓生から寄付金をかなり無理をして集めて大同窓会を開催することになっている。実際は51歳から大同窓会担当の準備をさせられる。私は事務局長を仰せつかりお世話させていただいたが、世話をする際に最も困惑したことは、‘荏覯颪覆鵑洞縮がないから協賛金は払わない大同窓会を運営している連中は同窓会で自分の利益を図っているのではないか自分たちがあずかり知らないところで決められたことが押し付けられているのが気にいらない、といった意見を持つ同窓会反対論者が同窓生の中に多数いたことである。
 当時そういった反対意見は全く考慮されずに粛々と大同窓会は実行され、終わってしまえば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通りで、あれ以来大同窓会は欠かさず毎年行われている。しかし、よく考えてみるとあんな大規模な同窓会を毎年開催するのは大変なエネルギーを要する。53歳の男は仕事に忙しくて同窓会に協力するのは面倒くさい。女の人も自分の生活、家庭の仕事に忙しくて同窓会など協力したくない人がたくさんいるだろう。同窓会はお年寄りには楽しいイベントかもしれないが、53歳の担当者たちにとって厄介この上ないものじゃやなかろうか。
 明善大同窓会は最初は明善体育館で地味に始まったものだ。いつからかは知らないが、ホテル創生で開催されるのが慣例となった。ホテルにとっては有難いイベントだろう。黙っていても毎年千人の人が集まるイベントがあるのだから。ちなみに、創生の初代社長は久留米商業出身である。
 久留米市では明善、久留米、久留米商業、南筑、私立の祐成が大同窓会をするおかげで、経営よろしからぬ地元ホテルが潰れないのかもしれない。大同窓会が地元経済の一助となっているのかもしれない。逆に言うと大同窓会を当てにして肝腎な経営努力を怠っているんではなかろうか。
 明善校も少子化の影響で今や8クラスで320名しかいない。私たちは11クラスで600名を超えていた。この320名では千名も集まる人たちのためにたくさんの協賛金を同窓生から集めることは不可能である。一人当たりの負担が大幅に増加する。2学年で大同窓会を運営する時がじきにやってくるだろう。あるいは、1年おきで開催するといった考えもでてくるだろう。
 大同窓会は楽しい負担ではなくて、実に厄介なものだ。卒業をして30年以上も経過したのちに同窓生の住所を一人一人確認していく作業は途方もない時間と労力を必要とした。同窓生の名簿がないと同窓生に協賛金の協力すら頼めないから、名簿作成が一番大変だったが肝腎なことだった。私たちの同窓生には社長業をしている人には10万円、開業医10万円、勤務医5万円、それ以外の同窓生には最低1万円以上のの協力を依頼した結果400万円以上集まり、なんとか大同会を開催できたのである。私は二度と大同窓会の担当などしたくないというのが本音である。
福岡県公立高校大同窓会恒例事業は是非とも再検討する余地がおおいにあると私は思う。
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石橋力君旭日小受章
久留米市会議員を平成元年から七期務めた石橋力君が在職中の功労を認められ旭日小を受賞し、その記念パーティーが先日3月2日に開かれました。来賓した人達の祝辞によると、石橋君は銀行のキャリアーを存分に発揮した議員だったそうです。来賓者達の彼への功労にたいする賛辞の言葉は議員としての彼の能力の高さを示していたようです。市議会議長を一期、副議長を一期務めました。私個人としてはもっと長く議員として活躍してほしかっただけに早すぎる議員退職が今でも惜しまれます。現在は彼も諸々の拘束から解放され悠々自適の生活を享受しているそうです。中でも特筆すべきことは彼はボランテイアー活動の一つとして保護司をしていること、しかも久留米地区の副会長の立場にあるということです。そもそも保護司は犯罪者の更正と早期の社会復帰を手助けする立場にあります。犯罪の7割は窃盗犯罪でしかも再犯の可能性が非常に高いだけに保護司の活動が期待されています。そういった困難な仕事を自発的にするのは賞賛に値します。高校時代の彼は表向きは強面でぶっきらぼうな言葉使いのせいで保護司のイメージ
にかけ離れた感もありますが、よく考えれば、彼は人がしないことを率先してしていたことを思い出します。保護司としての彼の活動もたぶん彼の純粋な自発の念からでたものでしょう。
会場には高校時代の同級生が数名参加していましたので旧交を温めることもできました。石橋君は3年生時には8組に所属していましたから同じクラスの同窓生が江藤博司君、黒田洋君、重永忠憲君、檜枝泰秀君、南田(平山)美智子さん、そして小生ー松本光正。7組の渡辺一生君、南田大介君、4組の赤司喜一郎君、堤(草場)幸子さん達の顔もみれました。そうそう8組所属で石橋力君の市会議員選挙の際に最も協力していた石橋保君は3月2日の当日にぎっくり腰に襲われ参加不能となりました。剣道7段の保君がぎっくり腰になるとは私達も年をとったものです。
二時間以上に亘る会の冒頭に君が代斉唱が行われ、次は真木和泉守作の詩吟詠唱、そして来賓者四名の長いスピーチ、日本舞踊等、結婚式でみるような会の進行とは全く異なもので、日本伝統の文化を全面に押し出したものでした。勲章は天皇から頂くものだから君が代を斉唱するのだなと、妙に納得させられましたが、その一方、石橋君が受賞した表彰状には首相の「安倍晋三」の署名があり、手渡したのは安倍首相ということになるんでしょうね。久しぶりの君が代を聞くにつけ鳥肌の立つ思いがするのは私達の世代固有のものでしょうか。会場にいた若い人達の中には大きな声で君が代を斉唱する人もいて時代の変化を感じさせられました。
石橋君のおかげで一生に二度とない経験をさせてもらいました。勲章は公務員として勤め上げた人達への天皇からの慰労賞なんでしょうね。一般私人の私如きには全く縁がないものです。こちとら窃盗なぞ出来心でしたはずみに逮捕されでもしたら保護司の石橋君のお世話になる可能性が勲章を頂く可能性よりも余程に高いと思うしだいです。
石橋夫妻表彰状南田夫妻
赤司喜一郎君、黒田洋君重永忠憲君江藤博司君
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訃報続く
3年8組に所属していた浦園宣憲君が11月24日逝去していたことが今日判明しました。東京都目黒区自由が丘在住。東大法学部に入学ののち経済学部へ転部。経済学の専門家として研究に携わり拓殖大学教授を歴任。東大経済学部でも講師として講壇にたった経験もありました。高校3年の時には私は同じクラスに所属して彼の勤勉ぶりには感心させられ啓発されました。特に彼は英語が得意で高校生で英語が喋れるレベルまで研鑽ていたし、暗記物には抜群の能力を持っていました。将来は弁護士になるつもりで東大文1へ入学するも、当時激しかった大学闘争の影響で法学部から経済学部へと転部し研究者の道を歩んだのです。彼は私にとって高校時代の親友の一人でした。クラスマッチで共にラグビーの試合に出場したり、二人でどっちが強いかを確かめるために相撲をとったこともありました。柔道も強い人物で体も強かったはずです。こんなに早く彼が命を終えてしまうとは予想だにしていませんでした。心より冥福を祈りたいとおもいます。
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訃報
3年9組に所属していた境野美喜雄くんが14日に逝去されました。10月に挙行しました旅行に是非とも参加したいと

言っていましたが病気治療のため彼は止む無く参加を取り消したといういきさつがありました。10月に電話で話した

時にはあの元気ではりのある声で話してくれましたので、これほど早く彼が逝去するとは思っていませんでした。

御冥福を祈ります。

3年6組に所属していました久留米市在住、聖マリア病院の薬剤師として長年勤務されていた石井静子さんが逝

去されていることが判明しました。御冥福を祈ります。

3年2組に所属されていました久留米市在住、家業を継ぎ長きにわたり働いていらしゃった最所清美さんの逝去が判

明しました。御冥福を祈ります。

境野、石井の両名とも生涯独身でした。境野君とは40歳の初めころ車に乗り熊本まで遊びに行つたこともありまし

たので彼の逝去には寂しさ感じます。高校時代の懐かしき友たちが欠けていくのは年とともに致し方のないことです

が、なるべく健康を維持していきたいものです。タバコをいまだに吸っている学友はなるべく早く禁煙することを強

く勧めます。

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