原要先生遺稿集

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    二年生になって、やっと自己に目覚めて来た。過去一年間の学而寮
    (叡寮ブでの交友、読書のお蔭と思ふ。人間は自己を知ることが最も大切
    である。その為には考えることが必要である。多くの人の中に居て、ざ
    わついでをる様な処では、心は散って考えることは出来ない。思索には
    独りになることが必要である。独りになれば、自然と歌が湧き出てくる。。
    それは自分の心の奥底からの叫びである。故に歌程自己の心を表はすも
    のはない。歌を作って、精神生活を反省するのも、人間生活には重要な
    ことである。

    昭和一五年五月十七日
    体操の時間に体力検査あり。背筋力が非常に少く、他の項目も下であ
    った。国家の要求する人間は肉体的に強き人なり。    ’
     
       親に受け  君に捧げし此の体 
       その貧しきに  独り悲しむ


    昭和十五年五月一八日
     志賀島にて学而寮大乱舞会あり。波打ち際に一つ火を取り巻いて
    踊り狂ふ。月は皓皓と中天に高く輝いている。我々は浮世の総てを
    忘れて唯踊り廻る。歌の合間に聞こえるのは大玄海の唸りである。  

       玄海の唸りを聞きつ
             大乱舞


    昭和一五年五月二十日
     教練で城外練兵場に出ていく.。課目は散開である。午後の太陽がさんさんと
    ふりそそぐ芝生の上に、少し汗ばんだ身体を横たえる。何だかピクニックに来て
    をるようだ。向こふの方を日傘が通る。

    教練で城外練兵場に寝転んで
         教練するや 春の午後


    昭和十五年五月二十一日’  。

     新練兵場で野外教練あり。もう夏を忍ばせるような太陽がかんかん照る。十一時半飯盆炊さん。真黒に焦げてるのもあれば、半煮えのものもある。副食は大好物の豚汁なり。
         飯ごうの焦げ飯美味し
                 野外教練・                、


    昭和十五年五月二十二日  
     
    昨年、天皇陛下には、畏くも我等青少年学徒に勅語を賜り、我々の責任の重且つ大なるをお訓しになり、又我々の進むべき道をお示しになられた。我々は一意大御心に副ふべ努力しなければならぬ。
                           ・
       我等若き者よ、此の日此の感激を忘るな
       我等若き者よ、国家の我等に侯つ所大なり
       我等若き者よ、我等の前途は遼遠なり
     ’ 我等若き者よ、あの独逸の意気を見よ


    昭和十五年五月二十八日

     福日主催の西日本高専篭球選手権大会が迫ったので、一頑張りする言
       
    太陽の直射を浴びて 猛練習
     

    昭和十五年六月一日

     誰でも、あの赤い実を他人の洋服につけたがるものだ・甘いのもあれば、。苦いのもある。

    校庭の櫻坊の熟したり 
    友の唇 皆紅らみぬ
                                           

    昭和十五年六月二日
     福日主催の西日本高専卓球選手権大会が春日原で行われた。我が龍球部は不戦一勝でぢ二回戦に進み。、佐高に散る。昨年の恨みを又繰り返す。                          

     初夏の春日の原に立ち出でて
            技を競うや 若人等


    昭和十六年四月二十九日
     報告団結成後最初の催しなり。新宮へ行く。

     天長の佳節を祝ふ
             剛健旅行


    昭和十六年五月二十八日
     田隈にて勤労奉仕作業あり。風吹きて、働くには好天気。浜地、平井、栗田と四人で一組となって麦束を運ぶ。芒が肌を刺す。

     麦運びに疲れし腰を休めては
          山の上飛ぶ白雲を見る

    昭和十六年五月三十日
     龍球部合宿で部員と柏餅を食ふ。皆甘いものに飢えてをった時だったので忽ち無くなる。
     
     柏餅祖母と母との
           手製なり

    昭和十六年九月十九日
     下宿から樋井川土手にかけて蟹が非常に多い。真白い道をさっと横切る。

    下宿から樋井川土手を歩めば小さき蟹
        わが足先をさっと横切る



    昭和十六年十二月九日

     宣戦の詔勅あり。雨降る中を住吉神社に戦勝祈願にもうづ。皆張り切っていた。
        六百の福高健児意気高し
           冷雨をついて住吉に詣づ


    昭和十七年三月三十一日(卒業式)

     福高を去り行く日
    春や皐月の櫻花  本館前に今誇る
    果敢無き運命背負えども  我らが情熱を沸らしぬ

    朧月夜の大濠に  さまよい出でてとぼとぼと
    独り歩けば白雪の  淋しく肩に降りかかる

    春の櫻の散り果てて  校庭にはゆかし藤衣
    その下陰に憩ふては  初夏の息吹を窺がひぬ

    月日は流る矢の如く  めぐりめぐりて早や三年
    果敢無き夢の今覚めて 友情無情の涙あり

    東に西に別るとも  南に北に隔つとも
    などで変らじ友情の 熱き流れは交ふらん

    さらば我が師よ我が友よ 何れの日にか又会わん
    三年の学び舎いざさらば 何れの日にか訪ね来ん


    これは明善校で数学教師をされた原要先生の旧制福岡高等学校三年生当時書かれた文章と詩です。学友芝恭介氏が福岡県立図書館で偶然この本を発見され、私にこの書をブログに掲載するように望まれました。第二次世界大戦が勃発した時に原先生は福高を卒業されていたのですね。戦後も遠くなりましたが先生の遺稿を読みいろいろと考えさせられました。小生は2年生の時に原先生の授業を受けました。当時の明善高校の先生方の中では若い先生で人格は温厚で怒られることもないように見えました。

      

    関東地区同窓会

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      先日関東地区で同窓会が行われました。場所はいつものように高山君の店です。出席者は25名。昨年より減りました。71歳ともなると都内まで出かけるも一苦労でしょう。同窓生の長岡君が写真を送ってくれましたので掲載いたします。数名の同窓生を除いて殆ど誰だか分らないです。しかし、皆元気そうでけっこうなことです。写真に可愛いお嬢ちゃんが写ってます。一体のどなたのお孫さんでしょうか。60年前は私達もあんなふうに愛らしかったんです。
      同窓会のホームページを刷新しました。私達が高校生当時目にしていた古い時代の明善校の校舎のスナップ写真を載せています。この写真は2013年度の大同窓会で参加者に配布されたカレンダーに掲載されていたものです。写した方は同窓生吉武和昭君の義理の妹さんです。非常に出来栄えのよい写真集ですので皆さんにも是非見ていただきたいと思いブログの1ページに掲載しました。
      関東同窓会

      関東地区同窓会のお知らせ

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        令和となって、早くもひと月が経ち、長すぎる10連休も終わりました。現役のころならば休日が多いのはうれしかったはずですが、今は医療機関が休みとか旅行料金が高いとか、何かとデメリットも多いようですね。

        今年も以下のような予定で関東地区の同窓会を開きます。7月の第一土曜日が定例です。皆様元気で、ご参加ください。

        メールで早めの、参加、不参加、直前までわからないなど、お知らせをお待ちしています。関東地区の方には後日往復はがきを差し上げますが、不要と言っていただければ、節約します。遠方の方々もどうぞご参加ください。よろしくお願いします。

                    記
        日 時 : 令和元年 7月 6日(土)
         PM4時〜8時(予定)

        場 所 : 赤坂有薫(高山喜一郎さん店主)
        (赤坂エクセルホテル東急3F 電話03-3592-0393)
          ・ 交 通 地下鉄丸の内線等「赤坂見付」駅下車
        ・ 会 費 男子:8千円、女子:6千円(予定)
        ・ 幹事・原野・加藤・吉武・長岡・鳥越         
                
        ☆他の地区からの参加希望者がありましたら、私にお知らせください。案内状を送ります。


                      鳥越素子 
                   (携帯)090−8515−1644
                  

        佐久間みなこさん

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          同期生の佐久間みなこさん福岡県で発行されている「グランザム」という雑誌で「先駆けをするには大きな波あり。これまでの経験すべてが今の自分を作り出す」語っています。以下はグランザムに掲載された内容です。

          先月から連載コラム「今月のシネマ」の新たな書き手として当誌面に加わった佐久間みな子さん。現在フリーアナウンサーとして多方面に活躍する彼女の人柄に迫った。
          「もともと父には”弁護士になれと言われていたんです。同じ。ホウソウ界でも法曹界だけど基本的に話すことが嫌いじゃなかったからか、大学で入った放送研究部が進路を決めるきっかけに」。当時女子大生亡国論をいう言葉がメディアを賑わせ、四大女子学生は就職難。それでも無事、放送局に入社した佐久間さんはアナウンサーを経験した後、ラジオディレクターやイベントプロデューサーの道へ。「職種の転向は自分の意志です。当時はマスコミとはいえ、まだまだ男性社会。女性は男性アナウンサーをいかに引き立てるかという刺身のつま。これに我慢できなくなって。もう年だねと言われる前に、別のセクションに行きたいと思ったのが一つの理由です。また、アナウンサーがステージに立つ前の底辺には企画・構成など色々な人が絡んでいる。それを見て、演じる側よりも演じさせる側の方が面白いのでは、と思って」。しかし現実はそう甘くない。アナウンサーとして大事にされていた頃とは違い、周囲の風当たりは強かったですね。それまで知っているつもりだったことも、実際、番組を作るとなったとき一から十まで何もわからない。聞いても相手にされないっていうのが一年続きました」。その後ようやくイロハを教えてもらったときは目から鱗なことだらけだったとか。「アナウンサーは割と自己完結することが多かったのですが、ディレクターやプロデューサーはまさに和をもって貴し。もう真逆の仕事です。仕事が変わると、大げさに言えば人生の価値観がガラッと変わる。自分の幅が大きく広がりました」。それまで女子アナといえば5〜6年で寿退社する人が多数。それが佐久間さんの時代以降ようやく定年まで勤めようとする女性が増えていったそう。「苦しい期間もありましたが、その経験があったからこそ今があると思っています。先駆けってそういうものじゃない?団塊世代は。初めてをいっぱい経験していますよ」と微笑む。
           佐久間さんの挑戦は定年退職した後も終わらない。現在はフリーアナウンサーとして活躍する一方、会話塾の講師を務め、「ぐらんざ」のコラムにまで登場することに。「映画の紹介ページでは、作品を通して多くの人の人生観を体感していただきたいと思います」と様々な経験をしてきた佐久間さんらしい意気込み。
           挑戦したいことはまだたくさん。「ぐらんざ」での執筆とともに、今後の彼女の動向が楽しみだ。


          同窓会は面倒くさいか

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             昨日の西日本新聞が「同窓会は楽しい負担?}と題して、福岡県内の高校が盛んに同窓会を開催している現状を特集していた。しかも、第一面ででかでかと取り上げていたから多くの読者の目にとまっただろう。昨日は新聞社によほどニュースといえる記事もなかったからか、それとも同窓会の弊害が少なからずあるということを新聞記者は言いたいのか。
             明善校同窓会では53歳になると同窓会理事会から大同窓会担当を仰せつかり、多くの学年同窓生から寄付金をかなり無理をして集めて大同窓会を開催することになっている。実際は51歳から大同窓会担当の準備をさせられる。私は事務局長を仰せつかりお世話させていただいたが、世話をする際に最も困惑したことは、‘荏覯颪覆鵑洞縮がないから協賛金は払わない大同窓会を運営している連中は同窓会で自分の利益を図っているのではないか自分たちがあずかり知らないところで決められたことが押し付けられているのが気にいらない、といった意見を持つ同窓会反対論者が同窓生の中に多数いたことである。
             当時そういった反対意見は全く考慮されずに粛々と大同窓会は実行され、終わってしまえば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通りで、あれ以来大同窓会は欠かさず毎年行われている。しかし、よく考えてみるとあんな大規模な同窓会を毎年開催するのは大変なエネルギーを要する。53歳の男は仕事に忙しくて同窓会に協力するのは面倒くさい。女の人も自分の生活、家庭の仕事に忙しくて同窓会など協力したくない人がたくさんいるだろう。同窓会はお年寄りには楽しいイベントかもしれないが、53歳の担当者たちにとって厄介この上ないものじゃやなかろうか。
             明善大同窓会は最初は明善体育館で地味に始まったものだ。いつからかは知らないが、ホテル創生で開催されるのが慣例となった。ホテルにとっては有難いイベントだろう。黙っていても毎年千人の人が集まるイベントがあるのだから。ちなみに、創生の初代社長は久留米商業出身である。
             久留米市では明善、久留米、久留米商業、南筑、私立の祐成が大同窓会をするおかげで、経営よろしからぬ地元ホテルが潰れないのかもしれない。大同窓会が地元経済の一助となっているのかもしれない。逆に言うと大同窓会を当てにして肝腎な経営努力を怠っているんではなかろうか。
             明善校も少子化の影響で今や8クラスで320名しかいない。私たちは11クラスで600名を超えていた。この320名では千名も集まる人たちのためにたくさんの協賛金を同窓生から集めることは不可能である。一人当たりの負担が大幅に増加する。2学年で大同窓会を運営する時がじきにやってくるだろう。あるいは、1年おきで開催するといった考えもでてくるだろう。
             大同窓会は楽しい負担ではなくて、実に厄介なものだ。卒業をして30年以上も経過したのちに同窓生の住所を一人一人確認していく作業は途方もない時間と労力を必要とした。同窓生の名簿がないと同窓生に協賛金の協力すら頼めないから、名簿作成が一番大変だったが肝腎なことだった。私たちの同窓生には社長業をしている人には10万円、開業医10万円、勤務医5万円、それ以外の同窓生には最低1万円以上のの協力を依頼した結果400万円以上集まり、なんとか大同会を開催できたのである。私は二度と大同窓会の担当などしたくないというのが本音である。
            福岡県公立高校大同窓会恒例事業は是非とも再検討する余地がおおいにあると私は思う。

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