明善42期同窓会

久留米市明善高等学校同窓会ページ
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盛り上がらない市長選
明日は久留米市市長選挙が実施されるはずだが、町では選挙ムードがさっぱり盛り上がらない。どういうわけだろうか?大久保、宮原、もう一人は名前を知らない人。三名立候補しているが時折チラシが自宅のポストにはいっている程度のものだ。楢原市長が「大久保氏を私の正当な後継者として認める」などと、市民に向かっていうのがおかしい。正当な市長だと決めるのは市民であることを楢原一派は忘れている。大久保氏は明善校卒業であるから私の後輩だが全く個人的には知らない人だ。潰れた東京銀行を辞めてモルガンスタンレーというアメリカの証券投資会社で1億円の給与をもらったこともあったとか。しかしながら、彼をよく知る民進を応援している私の友人は大久保氏のことをよく言わない。なぜなならば、彼はサービス精神がなくて公僕には不向きだというわけだ。民進党の参議院議員当時は大久保氏は地元のためになる仕事は一切せずに、議員報酬をもらうだけのひとだったとか。さらに、国がする土木関係者向けの公共事業を大幅に削減したからその世界の人達にはかなりの恨みを持たれているとか。意外と評判が悪い。私が思うに、民進党は瓦解しつつあるから大久保氏は先を読んで早々と国会議員を辞職、次期市長を長期作戦で狙ったとのだろう。大久保氏を応援する人達も商工会議所会頭の本村氏と鳩山議員だから大久保氏は当選後は彼らに鼻先を掴まれて引きずりまわされるかもしれない。
一方、宮原氏は更に影が薄い。もっと頑張れば勝つかもしれないのに。本気でやる気があるのだろうか?毛並みはいいし外務省の役人で、品格もありそうだし、人柄も悪くはないようだ。しかし、頭を下げて下げて手を握りまくって選挙運動をするどぶ板選挙ができない。組織がない人はどぶ板をはいでも、1票を取らないと勝てないのに。あれでは勝てそうもない。私の知り合いが随分と宮原氏を応援しているそうだが、私には応援の依頼もない。頼まれもしないのにこちらから出かけて応援する必要もないだろう。必死の熱意がない候補者には私も応援する気にはなれない。結局は大久保氏の勝ちで終わるのだろう。明善が附設に勝つのは稀有の事である。卒業生が多いほうが有利なのだ。
問題は大久保氏が当選した暁には、民進党の元の仲間たちが彼に近づいてくることだろう。市長の部屋にも堂々と入ってくるだろう。或いは、怪しげな肩書をもらって市役所の中へ入ってくるだろう。大久保氏がそういうことをうまく防いで市役所を公明正大に運営できたら立派な市長になれるだろう。そのうち本村氏も会頭を辞職するだろうから。鳩山議員はまだヒヨコだからたいしたプレッシャーにはならないはず。久留米市はプラザビルを大金をはたいて建設したが、毎年7億円金利を支払っているとか。金利を払い終えないうちにプラザビルは運営がいきづまるおそれがある。大久保氏は公開討論で「市の負担は175億円の3分の1以下だし、調査によると経済効果は327億円ある。経常益は23億円のプラスだ。シティプラザができることによって近くにマンションが建ち、街もにぎわい、固定資産税も増える。公設民営化では民間はもうからないことはやらないが、文化・芸術にはおカネがかかる。たとえ赤字であっても文化・芸術にはおカネをかける。しかし人が集まれば、お土産などを買うので元はとれる。作ったものは壊さずしっかり活用していく」といったそうだが、23億円の経常利益がでるとの予測は当たるだろうか。固定資産がほしいからあういう建物を作ったという楢原市長の考えが見事に反映されている。市の持つその他の建築物や施設にも作られた後さっぱり活躍していないものがある。また、久留米市は外国人が観光に来る場所がない。外国人は久留米を素通りしている。柳川、大宰府、三橋町の大藤、九年庵などは小さな町なのに、しっかり外人を引き付けているspotとがある。プラザビル、ラーメン、焼き鳥では外国人は来ない。でかいビルではなくて整備された景観、娯楽施設をつくればよかったのにと思う。久留米市の役人はどうもやる気がないのではないかと思われても仕方ないだろう。だから市長選も盛り上がらないのだろう。30万の人口を抱えているのに無為無策の市役所に見える。市長一人が悪いのではないが、役所自体が比較的大きな田舎町の小さな幸せにひたりすぎているんではないだろうか?もっと若くて時代の流れに敏な斬新的な市長が誕生してもらいたいものだ。そういう点では3名とも不合格である。

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星野仙一監督の逝去について
あの闘将といわれた星野監督が死亡した。私が慶応へ進学した当時彼は明治大学のエースだった。マウンドでは一球なげるたびに大きな声を発していたー「この野郎」と大声を出していたのを記憶している。明治の当時の監督は島岡さん。元明治の応援団長だったそうで、野球は素人のはずだが、なぜか監督だった。明治根性野球の典型を私は目撃したのだ。当時は、法政に田淵、山本、富田の三羽烏、早稲田には谷沢、荒川といったすごい選手がいたのだから。学校で授業を受けるよりは彼らのプレイをみるほうがよほど楽しかった。大学は大学闘争で荒れてしまい私も勉強などする気にもなれず、神宮球場がリフレシュの場所だった。神宮で目撃した元気いっぱいだったスター星野監督がまさか死んでしまうなんて思いもしなかった。死因はすい臓がんと公表されていたから、明治大学の野球部は入部したばかりの星野選手に一気飲みを強要して、そのあげく急性アルコール中毒にしていたのではなかろうかと穿ったみかたをもしてしまう。そして膵臓を若くして痛めてしまったのがすい臓がんの遠因となったのではないか。膵臓は物言わぬサイレント臓器だから、発病の有無は掴みにくい。一度発病すれば回復はおぼつかない。誠に惜しい人が野球界から消えてなくなり、元野球小僧の小生は心から哀惜の辞を述べさせていただく。私達も今年で70歳だからいつ何時お迎えが来てもいいように心がけておく必要はあるのだろう。

星野監督によると、恩師島岡さんは右翼思想の持ち主であったという。安保反対の学生運動が盛んな頃、島岡と星野は一緒に車に乗っていたが、ピケを張りデモに参加している学生を見て、島岡は当時主将だった星野に「おい星野、あの連中は赤か?」と聞いた。星野が「そのようですね」と返事すると、島岡は「連中をぶっとばしてこい」と命じた。星野は見ず知らず、しかもこちらに対して悪意のない連中を殴るのはと内心ためらったものの、「御大の命令とあらば、たとえ火の中、水の中」とばかりに殴りかかったという(『星野仙一のすばらしき野球野郎』1983/7 日刊スポーツ出版社 ISBN 4-8172-0066-9)。 星野投手が大学の初登板で負けたときには明大の野球練習場のマウンドでパンツ一枚の恰好で島岡監督に一晩中正座をさせられたという。しかも朝方ふと気付くと監督も暗闇の中で正座をしていたと星野さんは述懐していた。熱血指導を超えた神画がかり的島岡監督の指導が、星野監督の根源だったのだ。慶應野球部ではここまで凄まじい話はきかない。私の後輩になる山下大輔が大洋に入団して、無失策連続日本記録を打ち立てたスター選手だった。入部した彼へのしごきはノーグラブで何百本のノックを受けることだった。手は血だらけで皮もはげてしまったらしい。それが根源となってスター山下が生まれた。彼はピンチヒッターで始めて出場するやホームランをかっ飛ばして見せた。


話は変わりますが、今年の10月に学年で古希記念旅行を計画しています。ようやくプランの概要もまとまってきましたので、決まり次第このホームページで発表します。旅行は1泊2日の予定。東京からであろうと福岡かであろうと同じ金額で5万円台で済ませたいと思います。当初は伊勢神宮参拝のみを念頭にいれていましたが鳥羽に宿泊のコースをとると福岡からの経費がかかりすぎるようですので奈良に宿泊、奈良、京都旅行にしようと考えています。皆で集まって童心に戻り楽しく過ごせればよかろうかと思っています。
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久留米地区同窓会
先週の土曜日に久留米で開催された学年同窓会は盛会で終了しました。今年は例年になく多くの同窓生が参加してくれ参加者も楽しいひと時を過ごしたと思います。健康であればこそ同窓会で懐かしき友と再会できるとの思いを持った次第です。
明善大同窓会昨年度以上の出席者がありました。今年の演目は最初に能楽でした。57年卒の縁者である山口剛一郎氏が舞囃子「高砂」を演じ、次には私達の同窓生吉田清明君も参加する弦楽合奏でモーツアルトのディベルティメント、3番目が北野町制作和太鼓、4番目が島さゆりさんのフラメンコそして例年通り旧制明善中学卒業生と久留米高女卒業生の方々が演壇に上がりそれぞれの校歌を斉唱した後に同窓会担当学年のメンバーがあの勇ましい応援団の姿で登壇、大声で白旆の歌を唱和して無事終了しました。私達もいつの間にやら68歳、大同窓会での指定座席も演壇に向かって随分前進しました。一緒に出席した藤江さんが53歳の担当学年の女性達を見て、「皆若いねー」とため息交じりに実感のこもった言葉を発していました。実は僕もあの人達を見て53歳なんて思えなかったです、40代に見えました。照明が落とされた会場内で、目も薄くなったせいでしょうか。15年前に大同窓会の担当をした頃は未だあのような若やいだところも自分にはあったのでしょう。57年卒の島さゆりさんが現役のフラメンコのダンサーで会場でフラメンコの踊りを披露してくれ、2曲目は57年卒の女性が会場に散って島さんとともに踊り、OB、OGともに大喝采でした。世代が変わるととともに担当学年の演目も変わり、オシャレになっていると実感しています。来年度の演目は今年を基準に工夫されるでしょうから、来年度の同窓会が楽しみです。写真は学年同窓会で撮らせて頂いた同窓生のスナップ写真です。掲載についてのご本人の承諾は得ておりません。申し訳ありません。

ビオラ演奏家吉田清明と渡辺ミツヨ
山田伸也 渡辺清孝
石橋保、鴛淵雅男久原正治、緒方正嗣森田和子、後藤健定免、松尾大原、龍向井、大籠松本、池田真知子、二又高山、鳥越、大籠、古田 平田、岩崎中原河島、赤司萩原、久保米倉、向井、大籠、秋山(右端)、柴原(手前)樋口、小宮、岩政 高山、鳥越、山崎、赤司池田、二又、岩崎、森田、稲益石橋力、古田
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学年同窓会出席予定者
1組 鳥越(岡)素子, 定免(高山)礼子, 樋口(平井)静子, 小宮(城島)節子,
山崎(鶴田)伊佐子, 萩原(宮原)久栄, 松尾(半田)文子

2組 森田(古賀)英子, 綾部俊行, 東 晨夫, 後藤 健,

3組 *長岡 健, 秋山 覚, 向井 健悟, 大籠 清, 米倉 清登,
畑瀬哲郎, 山下(岡) 耕司, 緒方 正嗣, *山田 伸也,

4組 渡辺ミツヨ, 渡辺 清隆, 吉田 裕樹, 久保(矢野)紀明,
平田 忠俊, 古田 繁之, 平木 義光, 稲益(田中)美恵子,
*岩政 俊明, 赤司 喜一郎,

5組 猪山 賢一, 中原 幸一郎, 中村 芳幸(大同窓会のみ), 佐藤 康博,

6組 小林 繁, *中尾 博敏, 古谷(田中) 千代子, 久原 敏夫,
渋谷 修平, 森田(龍頭) 和子

7組 久原 正治, *加納 善一郎, 渡辺 一生, 河島 哲郎,
*山口 篤志,

8組 石橋 力, 二又 一人, 池田(弥富)真知子, 岩崎(廣松)千代子,
藤江(灰塚)千寿子, 野田 尚代, 松本 光正, 高山 喜一郎,
石橋 保, 吉田清明(大同窓会のみ)

9組 芝 恭介, 鐘ヶ江 充行, 高田 幸保, 紫原 俊広,
黒岩 光(大同窓会のみ), 鴛淵 雅男,

10組 大原(久保田)妃土美, 龍(田島)勢津子,

*山田伸也君は始めての参加です。昨年奥様山田(高島)準子さんを亡くされました。山田君とは50年ぶりの再会。
*加納喜一郎君は東京から久留米へ里帰りされました。初の参加です。
*中尾君は始めての参加です。私は50年ぶりの再会です。
*岩政君は毎年茨城県から参加しています。
*山口君は北海道からほぼ毎年参加しています。
*長岡君は関東明善同窓会副会長です。3年連続の出席です。
*今年は2年6組当時の集いがあります。担任教師であった原 要先生のお墓へお参りする計画が立てられています。6組所属の人達によると、当時のクラスはとても仲が良くて今でもそのいい思い出は忘れられないそうです。 、
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訃報
3年5組に所属、武蔵野市西久保3-2-26-1102居住していた青山竹文さんが9月8日に逝去されたそうです。
僕は1年生の時に同じクラスでした。真面目な人柄で勉強もできた人だったと記憶しています。附属中学出身だったと思います。明善卒業後は大学、仕事も違い交際もありませんでしたが、彼のことはよく覚えています。悪さ坊主が多かったバンカラ明善にはどことなく不釣り合いな感じの人でした。東京では明善同窓会にも出席されていたようですし、体調が悪いとの噂もありませんでした。私にとっては意外な知らせであります。心から冥福をお祈りいたします。

彼は九州大学工学部機械科を卒業後修士課程卒業。日本鉱業へ就職その後日本石油へ勤め先を変えて昨年度も働いていました。昨年度の同窓会の返信葉書には「月〜土まで毎日、現役で仕事をしていることもあり、久留米までなかなか帰ることができません。年をとるにつれ、だんだんとつらくなってきましたが健康を維持するためにも、まだまだ仕事を続けたいと考えています」と青山君は書いていました。青山君は今年の関東同窓会にも出席し、ハーモニカの演奏をしたそうです。皆さんも健康診断をしましょう。私の大学時代の友人は始めて健康診断をしたら胃がんの第4ステージと分かり、医は全部摘出され、肝臓への転移もみとめられました。それでも処置を施すうちに4年以上命を長らえています。今は家族と旅行したりしてそれなりに楽しんでいます。「残躯これ天の許すところ楽しまざるして如何せん」の境地にあると友人は言ってます。小生は幸いにも病魔に襲われることもなく平平凡々たる日々を過ごしています。67歳で世間でいう外の世界での仕事は卒業。現在は昔から経営してきた塾での高校生相手の勉強指導のみしています。マイペースで自分ができる範囲内でちびりちびりと仕事を続けています。吾の如き小人は閑居して不善をなさぬように少しは何かしているほうがいいと思います。散歩ばかりでは飽きてしまいます。

松本光正





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